1896年(明治29年)
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| 宮城県名取郡秋保村(現 仙台市太白区)に生まれる。
一家離散のため県下各所に転々と居を移し、幼少より苦境の日々を送る。
「家といっても、床もなければ戸もない、屋根とむしろで雨露をしのぐのがやっとの、もちろん畳などはない
みじめさであった。(自叙伝より)」
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1910年(明治43年) |
14歳 |
姉を頼って上京。
折からの第一次大戦下の不況のあおりを受け、多くの職を転々とするのを余儀なくされ、試行錯誤と挫折の繰り返し
の青年時代を送る。
「少年時代からの起きころびを通算すると、実に二十七、八回にもなる。よく七転び八起きというが、私の起きころび
の経験はその三倍を超えている。(自叙伝より)」
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1925年(大正14年) |
29歳 |
自作受信機でラジオ実験放送の受信に成功。
品川元芝町にラジオ店を開業。以後、電解コンデンサの研究開発を志し始める。
「とつぜん、それこそたえなる音色の琴三味線の合奏が聞こえてきた。これが私の初めて聞いたラジオであった。
その驚き、喜び、筆舌につくしがたく、胸は高鳴った。(自叙伝より)」
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1931年(昭和6年) |
35歳 |
待望の独自電解コンデンサを開発。
昭和9年には新工場を設立し、事業拡大の基礎となる。
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1945年(昭和20年) |
49歳 |
戦時疎開命令により青梅に疎開。以後の後半生を青梅で過ごす。
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1947年(昭和22年) |
51歳 |
日本ケミカルコンデンサー株式会社設立、社長に就任する。
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1958年(昭和33年) |
62歳 |
青梅市東青梅に新工場を落成、移転 |
1963年(昭和38年) |
67歳 |
黄綬褒章受章。
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1967年(昭和42年) |
71歳 |
勲四等瑞宝章受章。
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1977年(昭和52年) |
81歳 |
青梅佐藤財団設立。
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1978年(昭和53年) |
82歳 |
永眠。
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